8月2日に行われたボクシング女子66キロ級2回戦で、アルジェリアのイマネ・ケリフ選手が、イタリアのアンジェラ・カリニ選手に勝利しました。
ケリフ選手から2発のパンチを受けたカリニ選手は、開始46秒で棄権します。
ネットでは、ケリフ選手がトランスジェンダーとして、女性の格闘技種目に出場し
た・させたとして、 IOCやケリフ選手本人に批判が殺到しています。
しかし、ケリフ選手がトランスジェンダーではなく、性分化疾患とのことです。
聞きなれない疾患名ですが、トランスジェンダーとはどう違うのでしょうか?
また、なぜオリンピックに出られたのでしょうか?
出場基準なども合わせて詳しく見ていきましょう!
ボクシングのイマネ・ケリフは「トランスジェンダー」ではなく、性分化疾患の「女性」!
ネット上では、イマネ・ケリフ選手がトランスジェンダーとして、明らかに力の差があるのに女子ボクシングに出場させたことに抗議が殺到しています。
しかし、イマネ・ケリフ選手はトランスジェンダーではありませんでした。 順を追って見ていきましょう。
イマネ・ケリフのプロフィール
イマネ・ケリフ選手のプロフィールはこちらです!
生年月日: 1999年5月2日
年齢: 25歳
身長: 178cm
国籍: アルジェリア
性別: 女性
イマネ・ケリフ選手は、女性として生まれ、性別は女性であると自認しています。
ただ、ケリフ選手は、本来の性染色体の組み合わせ(核型)とは異なる性をもって生まれてくる性分化疾患(DSD)であるようです。
トランスジェンダーと性分化疾患の違い
トランスジェンダーとは、生物学的性と性自認が一致していない人をいいます。
つまり、生まれたときの性別と、心が生物学的性とは一致しておらず、自分は生物学的性の反対の性別である、と自認している人は、トランスジェンダーと言えるでしょう。
一方、性分化疾患とは、胎内での性分化が一般的な形と異なり、典型的に進まない状態を指します。
生まれた時に外性器の特徴で性別を判別することが難しい、もしくは生まれるまでに何らかの理由で性分化の過程がうまくいかず治療を必要とするお子さんがいらっしゃいます。また、本来の性染色体の組み合わせ(核型)とは異なる性をもって生まれてくるお子さんもいらっしゃいます。このような場合を性分化疾患(DSD)と定義しています。
引用元:Medical Note
イマネ・ケリフ選手は、生まれつき女性でありながら、男性特有のXY染色体を持ち合わせていたということです。
トランスジェンダーと性分化疾患は明らかに違うことはわかりましたが、女性というカテゴリーで行われるスポーツにおいて、真に公平と言えるのかどうかについては、国際ボクシング協会(IBA)と国際オリンピック連盟(IOC)で見解が全く違うようです。
性分化疾患の選手に対する子国際ボクシング協会の方針
イマネ・ケリフ選手は、昨年インドで開催された世界選手権において、世界選手権を主催する国際ボクシング協会が事前に行った性別適格性検査に不合格となり、出場権を剥奪された過去があります。
国際ボクシング協会の基準のポイントとなったのはテストステロン値のようです。
一方I億歳オリンピック連盟は性分化疾患を擁護
国際オリンピック連盟は、今回の件について2日早朝に声明を発表しました。
オリンピックはトランスジェンダーに有利?
イマネ・ケリフ選手は性分化疾患であってトランスジェンダーではありませんでした。
しかし、トランスジェンダーの人は、外性器の転換手術などのいくつかの要件をクリアすれば性別変更ができるため、パスポートの性別も変更されます。
このIOCの声明に従えば、オリンピックでは、性別変更したトランスジェンダーは、変更後の性別として競技に参加できるということになります。
世界的にジェンダーレスの流れにある昨今、倫理面で考慮しなければいけない点も多いですが、遺伝的に体格等に差が出やすい点では、不公平感がぬぐえない気がします。
国際オリンピック連盟と国際ボクシング協会でなぜ基準が違うのか
国際ボクシング協会は、2016年のリオデジャネイロ五輪で審判の八百長が明らかになりました。
その翌年から、IOCがI国際ボクシング協会の運営体制を監視をすることとなり、財務面も不透明と分かり、東京五輪からはオリンピック資格を停止されています。
まとめ
イマネ・ケリフ選手の性別などについて紹介するとともに、性分化疾患や、トランスジェンダーについても見ていきました。いかがだったでしょうか。
主催機関の大会出場基準の一貫性がないことも、今回イマネ・ケリフ選手がトランスジェンダーと誤解される一因になったのではないでしょうか。
また、巷で認知が広がってきた『トランスジェンダー』とは別の『性分化疾患』というものがあまり認知されていないことから、混乱が広がっているようです。
ジェンダーレスの流れの中で、倫理も関わり複雑な問題ではありますが、スポーツの世界では、大衆が納得できる価値基準で統一してほしいなと感じます。