ご祝儀に渋沢栄一の新一万円札を使うのはマナー違反であると主張するマナー講師がいるとして、話題になっています。
それでは旧1万円札の福沢諭吉の女性関係は清廉潔白だったのか気になりますよね!
実は、福沢諭吉の女性や結婚に対する価値観がわかるものが残されているんです。
- 福沢諭吉の女性関係はどうなの?
- 福沢諭吉は結婚してた?家族は?
- 福沢諭吉はどんな結婚観を持っているの?
早速読んでみましょう。
1万円札の偉人・福沢諭吉は何した人?基本プロフィール
出典:icotto
以下が福沢諭吉のプロフィールです。
- 名前: 福沢 諭吉(ふくざわ ゆきち)
- 生年月日: 1835年1月10日
- 出身地: 摂津国大坂(現在の大阪府大阪市)
- 職業: 啓蒙思想家、教育者、著述家
- 主な業績:
- 慶應義塾(現在の慶應義塾大学)の創設
- 新聞『時事新報』の創刊
- 著書『学問のすゝめ』『西洋事情』『文明論之概略』など
- 死去: 1901年2月3日(享年66歳)
福沢諭吉といえば、「学問のすすめ」ですね!
大学創設も行い、教育に関心が強いことがわかります。
福沢諭吉は女好きではない!女性関係が真面目
福沢諭吉の女性関係はどうだったのでしょうか。
ご祝儀に使っても全く問題にもならなかったので、清廉潔白な人物だったのでしょうか?
早速見てみましょう!
出典:wikipedia
福沢諭吉の妻は生涯一人で離婚・浮気はせず子だくさん!
出典:Histonary
福沢諭吉は1861年に26歳で錦(きん)という女性と結婚します。
福沢諭吉は浮気をすることもなく、生涯錦と添い遂げます。
錦は当時17歳で、年齢差は9歳でした。
福沢諭吉と錦の間には5男4女の9人の子供がいます。
福沢諭吉は教育者ということもあり自分の子供たちへの教育にもとても熱心だったようです。
福沢諭吉の結婚観
出典:事業構想
福沢諭吉が62歳の時に書き上げた「福翁百話」には、福沢諭吉の結婚観が詰まっています。
- 「結婚は人生の重大事であり、配偶者の選択は慎重に行うべき」
- 「配偶者を選ぶ基準は、1血統・2健康・3知能」
- 「結婚は人生最高の幸福であり快楽」
- 妾を持つなどもってのほかである
福沢諭吉は、自分の娘が結婚するときに、相手の身分が下であったことから破談にしたというエピソードもあります。
これだけ聞くと昔ながらの堅物というイメージですが、ご自身は中津藩の下級藩士の家出身で、妻の錦の家は中津藩の上士出身と、錦の実家は福沢家より身分が上でした。
自分より身分が上の家出身の錦を妻にしたことで自身が充実した人生を送れたことが、よりこの思想を確固たるものにしたのかもしれませんね。
福沢諭吉は家庭思いで教育熱心
出典:事業構想
福沢諭吉といえば、慶應義塾大学の創設者であり、「学問ノススメ」など、教育関連の執筆も行っている教育者でした。
自身の子供たちの教育にも積極的で、家の修理や農作業を手伝わせることで実践力をつけたり、知識深めることが人生を豊かにするを子供たちにも説いていたようです。
子供の人数も多かっただけに、よほどの熱意があったと思われます。
福沢諭吉は女好きどころか愛妻家!一夫多妻制に異論をとなえた
福沢諭吉が大切にしていた思想に
男女平等
があります。
当時は、子孫繁栄の目的で一夫多妻制が一時的に法制化するなど、妾を持つことも珍しくはありませんでした。
しかし、福沢諭吉はその思想に反対していました。
男女の不平等からくる一夫多妻や、子どもが生まれないからと女性が一方的に離縁されることがまかり通っているからで、そのような状況で自由愛情を持ち出せば、男性たちの我儘勝手に口実を与えるだけである。そのため、福澤はまず一夫一婦・偕老同穴(かいろうどうけつ:夫婦が仲睦まじく、契りの固いこと)を実現すべきであると主張します
引用元:事業構想
- 子供を産めない女性が不当に扱われる・捨てられる
- 一夫多妻制は男性のわがまま勝手を助長するだけ
なんてフェミニスト!!惚れてしまいそうです。
福沢諭吉は幼い頃に父親が他界し、母親が女手一つで育ててくれました。
母親の苦労を間近で感じながら育ってきたことも、福沢諭吉の女性を尊ぶ気持ちにつながっていそうです。
福沢諭吉は女好きではなく女性関係が真面目 まとめ
いかがでしたか?
福沢諭吉の生きていた時代は、妾を持つことも一般的でした。
しかし、そんな中でも福沢諭吉は一夫多妻制を否定し、自身は錦と一生涯添い遂げ、たくさんの子供たち教育にも熱心に取り組まれました。
一方、新一万円札の渋沢栄一は妾をたくさん抱えていたようですが、この時代では当たり前のことでした。
そう思うと、渋沢栄一の新一万円札がご祝儀にマナー違反は言い過ぎな気もしてきますね(笑)